【人間の成熟度は 遊びに夢中になる子供の心を再発見することにより現れる】
昨日、ふと野スミレのことを書いたら、
ゲーテの
「人間の成熟度は 遊びに夢中になる
子供の心を再発見することにより現れる」
という私の大好きな言葉がよぎった。
私には、こうして、
一つの記憶が
別の記憶を呼び起こすということが
よくあるのだ。
昨日のブログで書いたのは、
かつての私の庭に、
パンジーの零れ種から
芽を出した野スミレが、
劣悪な環境で花を付ける話。
パンジーは原種を色々と掛け合わせて
作られた園芸種で、
それは人間の好みに合わせているので、
確かに美しい。
だけど、
原種返りした野スミレも可愛い。
何より、毎年毎年、
人の手を借りず、
自力で種を落とし、
自力で花をつける。
時には、群生する。
パンジーが原種返りしたように、
私も原種返りして
子供の心を再発見したら、
本来の私、在りたい私のことも
再発見するだろう。
こうあって欲しいという
周りの、
外側からの要請に従った私でなくて、
内側からの在りたい個の私として、
野スミレのように
自力ですくっと咲くのだ。
それでこそ、
自力で在りたい他者にも
敬意を表することができるのではないかしら。
そう、「みんな違ってみんないい」のだから。
今日の写真は、
庭に咲いていた野スミレの写真の大盤振る舞い。
お花の好きな方、
ご覧になってください。
一生懸命
思い思いに咲いた野スミレたちです。
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